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《姉が送ってくれたはたはたずし》
秋田音頭に「八森ハタハタ男鹿で男鹿ブリコ」と歌われる男鹿半島は私の生まれ育った地からそれほど遠くはない。
その地に今も住んでいる三番目の姉から生のハタハタと寿しが送られてきた。
ハタハタと言えば北の日本海側に住む人(特に秋田)には特別の思いがある。
厳しい雪と寒さに閉じ込められる冬に神様からの贈り物のように押し寄せるハタハタの群れはそこに住む人の冬の蛋白源として貴重なものだった。
12月になって雷が鳴り、ハタハタがきたド〜となると家々では箱単位で買い求め、味噌漬け、塩漬け、しょっつる(魚醤)ハタハタ寿司などとして保存した。
私も冬の間中、櫛に刺したハタハタを囲炉裏で炙ってくる日も来る日も食べさせられた。
その頃ハタハタの揚がる港はお祭りのような賑わいだったと聞く。
あまりの大漁に漁師は箱代にもならないと嘆いた。
所が、1980年一転、ハタハタは激減した。
もはや、庶民の魚ではなくなった。市内の高級料亭で千円で出ているという話もあった。
20年ほど前、地元ではハタハタ漁の禁止に踏み切った。(3年間)
色々な対策の成果が出てここ数年、ハタハタの大漁が蘇ったらしい。
姉の話では車で港まで買いに行くと一キロ100円ほどだったそうだ。
今は保存、流通の進歩で姉が下ごしらえをしてくれたハタハタが翌日には我が家の冷凍庫に収まり、暫くは懐かしい味を楽しむ事ができそうである。
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